東京高等裁判所 昭和44年(う)2479号 判決
被告人 浜田福恵 外一名
〔抄 録〕
検察官の所論は、被告人原武一の脅迫の公訴事実につき、原審が「被告人は昭和二九年ころ西井幸子と婚姻した結婚前から女性関係があつたため夫婦仲が円満を欠き、昭和三八年ころ家庭裁判所における調停の結果一時別居することとなり、被告人は玉村町の現住所に妻幸子は子供二人とともに高崎市天神町一〇八番地に居住するようになつた。しかしその後も長男は玉村町の小学校へ通学するため被告人は毎朝高崎市の妻宅へ長男を迎えに赴いていたほか時折り妻方に泊ることもあり、妻方の生活費は被告人が出していた。ところで右幸子は以前被告人方を飛び出し、本庄市へ赴いた際、電気器具商をしている山口貴一と知り合い、高崎市に居住するようになつてからも右山口は同女方に出入りしていたのであるが、被告人はこれを知り二人の間に疑いを持つに至つた。昭和四三年一月二五日午前零時すぎころ、被告人は妻方に赴き玄関から入つたところ、茶の間のこたつに山口と幸子が入り横になつており、しかも電灯を暗くしているのを見て激昂し、山口に対し、「何してやがるんだこの野郎。よくも人の前で恥をかかせたな。人の女房を何したんだ。ほしいのならやるから飼つておけ。」と云つたうえ同人の襟首を掴んで隣室に連れて行き、戸外に駐車してあつた自動車内から布袋入りの軍刀を持ち出して同人の前に投げ出し、「俺はいつでもこういうものを持つているんだ。下手なことを云うと叩き切つちやうぞ。」と怒鳴りつけたところ同人が「夜おそくなつたことは悪かつたが何もしていないから誤解しないでもらいたい。」と云つて帰つた」との事実を認定し、これを前提として、「被告人の前記言動はそれだけを抽出してみれば同条(刑法二二二条一項)にいわゆる脅迫に当ると解する余地もないではない。しかしながら右のような行為が脅迫に当るか否かは事件当時の諸般の情況を考慮して決すべく、法益保護の目的に照らし、社会生活上看過されて然るべき軽微な違法性を有するに止まるときには可罰的違法性を欠き、脅迫に当らないと解すべきである。ところで本件における事件の経過、被告人の行為の契機、態様は前認定のとおりであつて、被告人の言動に多少不穏当な点のあつたことは否定できないが、当時の状況から考えるとさほど度を超したものということはできず、その動機には同情すべきものがあり、また被害も軽微であることから考えると、被告人の前記行為はその違法性が極めて微弱であつて、可罰的違法性を欠き、脅迫罪の構成要件に該当しないといわざるを得ない。」と判断し、被告人に対し無罪を云い渡したのは、事実誤認、法令の解釈適用を誤つた違法があるというのであるけれども、原判示事実認定は証拠に照し正当であつて、所論事実誤認の主張は畢竟独自の見解の下に原審の正当な証拠の取捨判断を非難しひいて事実認定を争うに帰し採用できない。しかして右原審認定の事実からすれば、従来妻幸子と山口貴一との間に疑念を有していた被告人が、判示本件当夜の状況に際会し、真相はともあれ、妻幸子と山口が不義を行つていたのではないかと想像するのはもつともなことと認められるのであつて、その情況に刺戟されて発奮憤激し、たとえ当時被告人自ら不貞を働いていたにせよ、不義の相手方である山口貴一に対し現場において判示程度の言動に出るということは、通常人の行動として社会的に是認される範囲をあながち逸脱したものということはできない。被告人の判示所為はいわば行為の通常性から可罰的違法性を欠き脅迫罪に該らないものといわねばならない。してみればこの点に関する原判示は正当に帰し、所論法令違反の主張も理由がない。
(脇田 高橋 環)